武田家滅亡の謎 勝頼は暗君か?

清和源氏を始祖とする甲斐武田家

信玄死後 10年で滅亡した理由とは

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URL納めていた地域「信玄公 勝頼公の時代」

領土

甲斐 23万石

信濃 40万石

駿河 15万石

遠江 半国 18万石

東美濃 4万石

上野 30万石「勝頼時代」

総計 130万石

これだけの領土を有していた何も関わらず何故こうも簡単に滅んでしまったのか。

 

理由1

1575年の長篠の戦いに置いて余りにも重臣を、失い過ぎたことも挙げられるのでは、ないだろうか。

山県昌景 馬場信春 内藤昌豊などなど

信玄時代からの重臣を多く失ったことが挙げられる

 

結果として勝頼は、家臣からの求心力はが無くなってしまったといえる。

 

謎ポイント

勝頼は暗君だったのか

そもそも滅亡に招いたのはだれか

結論からしてそれは

武田信玄公 だと考える

理由としては、勝頼が財政を圧迫している戦争を、

辞めざる得なかったのは、信玄公が後継者をしっかり決めなかったからだ。

そのため勝頼は、家臣に認めてもらうためにずっと戦っていたといえるだろう。

理由2

織田 徳川が攻めてきたさいに、あまりにも裏切り者が多かった

その理由も信玄にある

信玄は、信濃平定に時間をかけ過ぎた挙句

諏訪氏 

小笠原氏

木曽氏

などを力尽くでまとめてしまった事もいえるのでは、ないだろうか。

 

解決 勝頼は、暗君か?

勝頼は、信玄がなし得なかった

高天神の攻略

最大領土

美濃侵攻

北条との縁組

上杉との同盟など

様々な事をやってきた。

これを、暗君といえるだろうか?